9『猛暑の試練』



 闘いは場所を選ばない。
 火の中だろうが、水の中だろうが、どれだけ過酷なところでも闘いは行われる。

 戦士たる者、どのような環境にでもより適応する為の知識の蓄えは怠ってはならない。

 それを行ったとしても、決して満足してはならない。
 厳しい環境は慣れない者達の身体を容赦なく攻め立てるのだから。



「んっ、…うん」

 夜が明けると同時にリクは目覚めた。
 隣のベッドを見ると、いつも野宿で使っている寝袋に包まってファルガールが眠っていた。どうやら、夜中に起き出して自分で寝袋を出したらしい。

「……その手があったか」

 彼は舌打ちすると、軽く身体を伸ばした。ばきばきと夜中に固まった関節が鳴る。固いベッドの賜物だろう。

 リクが階下に降りて行くと、一階では従業員全員が既に起き、掃除をしていた。

「おはようさん」

 そう声を掛けてきたのは掃除の指揮をとっていたオウナだ。

「……随分早いんだな」
「そうでもないよ。ファトルエルの朝は遅いからね」

 高い壁のおかげで、ファトルエルの夜は早い。逆も然り、太陽はある程度高く上らないと顔を出せない。

「ファルガールは?」
「まだ寝てるよ。昨日の酒がまだ残ってるらしい。寝かせてやってくれ」
「いっそ永遠に起きないと平和なんだけどね」と、オウナはなかなか過激な事を言う。

 そこまで憎たらしく思っておきながら、何故彼を泊めているのだろう。
 そんな事を考えながら清掃作業を何となく眺めていると、オウナが振り返った。
 リクはぎくりと身を強張らせた。彼女は、いきなり振り替えられてあまり平然としていられる顔ではない。

「なんだい、お腹空いたのかい? 朝食なら出来てるよ。食堂に行ってお食べ」

 リクにしてみれば全く的外れな指摘だったが、言われてみると確かに腹は減っていたので彼は取り敢えず食堂に入った。



 食堂は既に掃除が終わったらしく、どことなくさっぱりしていた。
 縦に二つ並んだ六人座りのテーブル、その上に敷かれた白いクロスもこぎれいな印象を与える一因となっている。
 食堂は無人ではなかった。
 奥の一席に、ボロボロになったノートを読みながら茶を啜っている老人がいる。
 老人はリクが入ってきたのに気が付いたのかノートから目を放して顔を上げた。

「君がファルガールの弟子かな?」

 リクは頷いた。
 すると老人は、自分の向いの席に座るようにリクを促した。
 彼はそれに従い、台所と通じているカウンターで朝食のトレイを受け取るとその席に座る。

「はじめまして、私はオキナ。一応この宿の持ち主だ」
「へえ、あの婆さんじゃなかったのか」
「オウナは私の妻だよ。宿の経営は彼女に任せている」

 リクは、この宿に着いた時にファルガールがオキナの居場所を聞いた事を思いだした。
 そしてその時オウナはいつものところだ、と答えた。
 ここまで考えたところでリクはある一つの事に気が付いた。すぐに尋ねてみる。

「……昨日、ファルガールが会いに行かなかったか?」

 オキナは頷いて簡潔に答えた。

「ああ、来た」
「何の用だったんだ?」

 オキナはすぐに答えなかった。しばらくリクの目を見ながら茶を啜る。

「……君は大会に出るのかな?」
「そのつもりだけど?」
「なら急いだ方が良い。昼から大会前日式典が始まってしまう」

 式典と聞いてリクは眉を歪ませた。

「そんなもんに出なくちゃいけねーのか?」
「出る義務はないが、その前にエントリーは締め切られてしまうのだよ」

 それを聞いたリクは、窓の外を見てまだ壁からさほど高くなっていない太陽を見た。

「でも正午だろ? そんなに慌てる必要ねーんじゃねーか?」

 オキナは首をゆっくりと、小さく振った。

「これでも遅いくらいだよ。
 いいかね? 今度の大会は世界中から自惚れた者から自他共に認める者までそれぞれ腕の立つ者全てが集って行われるものなのだよ。
 エントリーは今日の午前だけ受け付ける。それだけの人数がこの時間に集中するんだ。
 これが何を意味するか分かるかね?」

 つまりとても混雑するという事だ。

「もし並んでる間に時間切れになったら?」
「既に列に並んでいる分は全部受け付けてもらえるがね、それまでに並んでいなかった者はお引き取り願われているよ。だが間に合うにしても、炎天下の中ずっと並んでいるのは非常に辛いだろうね」

 それはもっともだと思ったリクは、急いで残っている朝食を平らげるとオキナに一言お礼を言って食堂を出て行った。



 暫くして、食堂に入ってきたのはファルガールである。

「おはよう、ファルガール。気分はどうだね? 昨日は酷い有り様だったようだが」
「何とか……大丈夫だ」

 ファルガールは額を押さえながら、先程リクが座っていた席にどっかりと腰を下ろす。
 オキナは重そうに腰をあげるとカウンターに行き、自分のものとは別の湯飲みに入った茶を受け取ると元の席に帰ってファルガールに勧めた。
 ファルガールはゆっくりとした動作でオキナに感謝の意を示すと茶を一口啜る。
 それを見届けると、オキナは再び自分のノートに目を落とした。

「なかなか素直な男だね」
「リクの事か?」

 オキナは一瞬、ファルガールと目を会わせ、頷いてみせる。

「頭も悪くない。君が私に会いに来たところまで勘付いていたよ」

 それを聞いたファルガールは茶をもう一口飲むと満足そうな笑みを見せた。

「そんくれぇは気付いてもらわねぇとな。ちゃんと誤魔化してくれたか?」
「嘘のつけない私に箝口せよと無茶を言う。しかし私の下手な誤魔化しでもちゃんと追求するのを止められた。……素直な男だ」

 遠回しに不平を言い、口を尖らせるオキナにファルガールが吹き出して笑った。

「かかか、だからアイツはからかいがいがあるんだよ」
「しかし何故彼に黙るのかね? 見る限りでは君たちは隠し事をするような溝のある関係ではなかろうに」

 ファルガールはなかなか答えなかった。残りの茶を飲み干すと彼は湯飲みをテーブルに置く。

「……リクは俺が認める一流の魔導士だ。一人で生きていける知識も技術も持ってる。アイツに足りねぇものはあと一つ。このファトルエルでそれを身に付けさせる」
「足りないもの? それは今回の大会と何か関係あるのかね?」

 オキナに聞き返され、ファルガールは頷いて続けた。

「アイツが大会に参加すると決めた事で第一段階はクリアだ」


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 こちらは、大通りへと歩をすすめるリクである。
 オキナに素直だと表された彼でも、かの老人に、自分の疑問を誤魔化された事に気付くのにさほど時間は掛からなかった。と、言うより、はじめから誤魔化されてなどいなかった。話が変わってからそれを蒸し返す隙が出来なかったのだ。
 気が付いたら早く宿を出なければ、という事になってしまっていたのである。

 宿を出てしばらく道なりに歩いていたが、あるところで道の分岐点に差し掛かった。
 リクは懐から昨日ファルガールが買った地図を取り出すと、それを開く。
 現在位置を探していると、後ろから何かがやってくる音がした。
 リクが振り向くとそこから出てきたのは何と運搬サソリだった。昨日は動いていても遠くだったり、近くでも止まっていたりだったが、こうして自分の方に歩いてくるとなると、その巨大さはまさに圧巻である。
 ましてここはそれが五匹並んで通っても余裕のある大通りではなく一匹でギリギリいっぱいの小路なのだからなおさらだった。
 リクがどう避けようか迷っていると、運搬サソリは目の前で止まり、頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。

「お、昨日の兄さんじゃないッスか。こんなところで何やってるんス?」
「……コーダ?」

 コーダは昨日レンスに向けて出発したはずだ。
 いくら徒歩より何倍も早い運搬サソリとて、あれから往復して今この街に彼がいられるわけがない。
 そんなリクの疑問を理解したのかコーダはにししと笑って説明した。

「昨日は客が全然来なくて、結局レンスには行かなかったんスよ。よく考えてみりゃ、これから祭が始まろうってのに帰ろうなんて人はいやせんからね」
「なるほど」
「ところで兄さんはどこに行く気だったんスか? そんなところで地図広げて」
「大通りだよ。でもこのへんの道はややこしくて……」
「なら連れてきやすから乗りやんせ」と、コーダはサソリの背に乗っている客室のドアを開けた。

 ところがリクは乗るのを躊躇している。
 その理由を察したコーダはもう一言付け足した。

「お金はいりやせんよ」

 それは図星だったらしく、それを聞いた途端にいそいそと客室に乗り込む。
 出発してから、リクは客室から御者席のコーダに話し掛けた。

「本当にタダでよかったのか?」
「……意外と貧乏性スね。ところで、大会には参加するんスか?」

 狭い道なので前から目が放せないらしく、彼はリクに背を向けたまま答え、問い返した。

「ああ、今からエントリーしに行くところだったんだよ」
「で、目標は?」
「決まってるだろ。優勝だよ」と、リクは座っている客室内の長椅子にふんぞり返って答えた。
「おっ、強気でやすね」と、コーダは肩ごしにリクに目をやる。その言葉に、リクは少し気取って言った。
「自信は大切だ。少しでも自分を疑えば実力は発揮できない」
「……誰の受け売りスか? それ」
「うっ……」



 そうこうしているうちにサソリは大通りに入って行く。
 リクは窓の外の景色に目を見張らせた。

「昨日と全然違う……」
「そりゃそうスよ。日常と違うのが祭りってもんス」

 コーダは冷静な答えを返すが、その景観には圧巻させられるものがある。
 第一に、大通りを歩く人だかりである。人数は昨日より少し少なめだが、その中身は全然違う。
 重武装をする者、力強い魔力を持つ者、とにかくそれだけで世界中の軍隊を相手どれる、恐ろしいまでの武力を持った集団だった。
 その他にも、出場する戦士達を一目見ようとする野次馬、それらを相手に賭け事も持ちかける人間、戦士達に武具を売ろうとする商人。

 第二には、大通りに出されている店という店が全て閉まっているということだ。
 おかげであれだけいた買い物目的の観光客の姿は野次馬のなかにしか見られない。

 第三には、雰囲気が上げられる。
 第一、第二で説明した通り、商店街としての活気は無くなり、ここにいる人間の大半を屈強なる戦士達が占め、それらのほとんどが緊張をしていた。
 昨日、ファトルエルの大通りの盛況振りを目の当たりにしたリクにとって、この雰囲気はより露骨に感じられた。

 コーダは運搬サソリを戦士達の並ぶ列の最後尾で止めた。

「着きやしたよ」
「ああ、サンキュ」と、リクは一言お礼を言って、客室から大通りに降り立った。
「じゃ、頑張って」

 そして運搬サソリは去った。
 しばらくその背中を見送った後、改めて周りを見渡すと、視線が自分に集中している。
 やはりひとり運搬サソリにのって登場したのはかなり目立つ行為だったらしい。
 列に並んでからも「金持ちの息子の道楽」だの「自惚れ」だの、あまり好意的でない評価が耳に付いたが、誤解を解くのも面倒臭い、好きなだけ言っていろとばかりに堂々としていた。
 オキナに教えてもらったおかげで間に合い、コーダに送ってもらったおかげで思ったより早く着く事が出来たのは事実だが、それでも行列の長さはリクをげんなりさせるのには十分だった。
 既に行列の並ぶところに影はなく、また、正午を過ぎるまで、影が伸びてきてくれる望みはない。

 灼熱の太陽は容赦なく参加希望者達を照りつけ、彼等の体温を上げて行く。
 彼が行列の真ん中まで来たあたりから行列は若干早く進みはじめた。
 倒れてリタイヤする者が現れはじめたからである。
 リクはオキナの忠告を聞いていた為、水を持って来ていたり、直接日光に当たらないような服を着たりするなどの対策は整える事が出来ていた。
 それでなくとも彼はこの七日間、重い荷物をもって砂漠を越えてきた男である。半日以上、この状態が続こうが、倒れはしない。
 これはファトルエルの決闘大会における第一の試練なのではないか、とリクは思った。

「次の方」と、呼ばれ、とうとうリクの番がやって来た。

 窓口の係は参加料としてリクの全財産のほとんどを受け取ると、リクに書類を差し出し、彼はその書類にサインをした。
 そしてそれを提出した手に、係は腕輪を付けた。
 その手際は彼に手を引く暇を与えないくらい見事なものだった。

「これは“証の腕輪”です」
「証の腕輪?」

 リクが聞き返すと、係は頷いて、一部の冊子をリクに渡した。

「詳しい事はこちらの規定書をお読みください。それから正午より第一決闘場において大会前日式典が行われます。強制はされませんが、できるだけ御参加ください。では次の方」

 行列から抜け出し、大急ぎで影のあるところまで行くと、彼は早速、大会規約の小冊子を開いた。



 〜大会規約〜



1、この大会のルールはサバイバル方式のバトルロイヤルです。残り二人になるまで、このファトルエルの街を舞台に闘っていただきます。

2、みなさんにしていただいている腕輪は“証の腕輪”です。これをはめている事により大会のサバイバルルールの中で「生き残っている」という事になります。腕輪が壊れれば、「負けた」と言う事になり、大会は失格になってしまいます。

3、この“証の腕輪”は特製のもので、衝撃などによっては絶対に壊れません。本人の腕から外すと、腕輪は砂になり、壊れたという事になります。

4、残り二人になるまでの期限は無制限です。

5、腕輪の生き残り状況はこちらが把握しており、残り二人になりますと、こちらから鐘をついて知らせます。その時点で生き残った二人は明朝日の出の時刻より、決闘場にて決勝戦を執り行いますので、腕輪をしたまま、決闘場の入り口までお越しください。

6、なお、基本的に大会のルール以外の質問は受け付けませんが、「あと何人生き残っているか」に関しては、本日受付を行った窓口で聞いていただければお答えできる方針になっております。お気軽にお越しください。

7、大会中は正当防衛を除き、故意に参加者以外の人間に危害を加えてはいけません。これを破っても腕輪は砂に還ってしまいます。

8、闘いの場は大決闘場を除き、どこを使用しても構いません。

9、以上でルールは全てです。ここに書かれている以外の事は何をやっても一切私どもは感知いたしません。


 では、御検討をお祈りいたします。

カンファータ王国・ファトルエル決闘大会実行委員会


「ふうん、中々面白いルールだな」と、リクは一言感想を漏らし、冊子を閉じた。

 ここでリクが迷ったのは大会前日式典とやらに行くか否かである。
 彼の偏見として式典などと堅苦しい名が付くものは意味がないか、ろくでもないものかのどちらかである。
 しかしこれは一応大会に参加するものが集まるようだし、上手く行けばいい情報を仕入れる事ができるかもしれない。

(宿に帰っても、暇なだけだしなぁ)

 そこで彼はファルガールが何かを隠している事を思い出した。この暇を利用して、オキナに尋ねる事も出来る。だが、そんな事は夕飯の時にでもいい事だ。
 結論として彼は式典に参加する事を決めた。
 せめてろくでもない事ではない事を祈って。

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